
分らない
自分で自分の気持ちが よく分からないことがある。とても人間に対して、肯定的な時もあれば、「人間なんて、信じられない。」と思っていることもある。どちらの想いも僕の気持ちなんだろうけど、自分ながら戸惑うことがある。例えば、診察の朝に強いニヒリズムが自分の心を侵食している状態で、患者さんを迎えなければならないような時、自分の心の切り替えに工夫がいる。余り深く考えずに「この方の気持ちをあるがままに聞かせて頂こう」と思うようにしている。僕が早すぎる正解のような意見や助言を与えても、何か違う気がする。彼が求めているのは、正解ではない 良いとか悪いとか関係なく、自分の気持ちを分かって欲しいだけのことが多い気がする。あるがままの自分の気持ちを理解してもらえたら それで十分なのかも知れない。正解や上からの意見は あまり意味が無いのではないか。寧ろ彼のプライドを傷つけるかも知れない。
何故そう感じたのかと言えば、或る先輩に今自分が抱えている問題について 助言を御願いしたことがある。その人は言っていることは、全て正しいのだけれど、少しも自分の心に納得の気持ちが起こらない。多分、僕が求めていたのは、自分が正しいか間違っているかではなく、何故僕がそのような行動をし、そのように感じたのか あるがままに理解して欲しかったんだと思う。頭の中では自分自身 すでによく分かっているし、自分が足りないこともよく分かっていた。
だから僕が求めていたのは、正解ではなかったということ。たとえ間違っていたとしても どうしてそのように感じ、どうしてそのような対人行動をとったのか、僕のあるがままの情動の動きを 理解して欲しかっただけ・・正解は早すぎると その人を癒すどころかその人を傷つけることすらある。
何故そう感じたのかと言えば、或る先輩に今自分が抱えている問題について 助言を御願いしたことがある。その人は言っていることは、全て正しいのだけれど、少しも自分の心に納得の気持ちが起こらない。多分、僕が求めていたのは、自分が正しいか間違っているかではなく、何故僕がそのような行動をし、そのように感じたのか あるがままに理解して欲しかったんだと思う。頭の中では自分自身 すでによく分かっているし、自分が足りないこともよく分かっていた。
だから僕が求めていたのは、正解ではなかったということ。たとえ間違っていたとしても どうしてそのように感じ、どうしてそのような対人行動をとったのか、僕のあるがままの情動の動きを 理解して欲しかっただけ・・正解は早すぎると その人を癒すどころかその人を傷つけることすらある。