
待つということ
これまでの自分は、即決のような所があって、或る意味「待つということ」が苦手だった。中途半端な不安に持ちこたえることができなかった。白か黒か、ハッキリさせて早く安心したかった。でも最近になって、事態を自分の思い込みで即断することで、どれだけの可能性を消してきたかが、感じられるようになった。
事態が時満ちてその全貌を現すまで、中途半端という不安に耐えながら じっと待つことの大きな力を実感している。性急な思惑、憶測に基づく判断は 大切な何かを失わせてしまう。事態には時というものがある。その時を外してはいけないけど、早すぎる決め付けは 大切なものを永久に切ってしまう。その痛みを感じなくする為に、失ったものを脱価値化することで、辛さを忘れようとする。でもそのやり方では 大切なものを二重に失ってしまう。
確かに大切なものを失う痛みは耐えがたいけど、その痛みを負ってでも大切にしたかったものであった筈なのに・・自分の痛みやプライドの傷つきに耐えられなくて、これまであんなにも大切にしていたものを、易々と価値の無いものとして打ち捨ててしまう。自我のプライドは守られても 自分があれほど大切にしてきたものを否定し、憎しみや無関心の対象にすらしてしまう。
それは、自分が一番大切にしてきたものを、自らの手で傷つけることではないだろうか?一番大切なものを自分のプライドの傷つきの痛みに耐えきずに 自分の心から追い出してしまう、これ程哀しいことがあるだろうか。でも 僕を含めて多くの人は この方法で自我の傷つきから自分を守ろうとする。
本当に大切なら、たとえ傷ついても、プライドがずたずたになっても 心の中で大切に抱き続けたい。それが本当のプライドじゃないんだろうか。とても辛いことだけど これからはその道を歩もうと思う。
事態が時満ちてその全貌を現すまで、中途半端という不安に耐えながら じっと待つことの大きな力を実感している。性急な思惑、憶測に基づく判断は 大切な何かを失わせてしまう。事態には時というものがある。その時を外してはいけないけど、早すぎる決め付けは 大切なものを永久に切ってしまう。その痛みを感じなくする為に、失ったものを脱価値化することで、辛さを忘れようとする。でもそのやり方では 大切なものを二重に失ってしまう。
確かに大切なものを失う痛みは耐えがたいけど、その痛みを負ってでも大切にしたかったものであった筈なのに・・自分の痛みやプライドの傷つきに耐えられなくて、これまであんなにも大切にしていたものを、易々と価値の無いものとして打ち捨ててしまう。自我のプライドは守られても 自分があれほど大切にしてきたものを否定し、憎しみや無関心の対象にすらしてしまう。
それは、自分が一番大切にしてきたものを、自らの手で傷つけることではないだろうか?一番大切なものを自分のプライドの傷つきの痛みに耐えきずに 自分の心から追い出してしまう、これ程哀しいことがあるだろうか。でも 僕を含めて多くの人は この方法で自我の傷つきから自分を守ろうとする。
本当に大切なら、たとえ傷ついても、プライドがずたずたになっても 心の中で大切に抱き続けたい。それが本当のプライドじゃないんだろうか。とても辛いことだけど これからはその道を歩もうと思う。