
坊主がやっているバー
昨日クリニックに来られた一人の男性が 新聞の切り抜きを置いていった その記事は東京の一角にある僧侶が経営するバーについて書いてあった 僕は僧侶ではないけれど 似たようなものだなとふと思った このクリニックに来る人は 人生を生きる中で様々に苦しみ救いを求めている 僕には人を救う力は無い でも気持ちとしては「何とかしてこの人に道をつけてあげたい」と思っている 自分の未熟は百も承知であるが それでも目の前で苦しんでいる人を そのままにしてはおけない
僕は深い闇を抱えているし煩悩も十分すぎる程持っている でもこの世界で苦しんでいる人を見捨てることはできない 自分が如何に無力であっても できるだけの援助をしてあげたい その意味ではここは医療の現場であることを超えて 人間の苦しみを共に見つめ超えていこうとする寺のような 或いは教会のような場所なのかも知れない 少なくとも志に於いてはそうありたいと願っている
この場所を訪れる人がこの場所で何を想い何を感じるのか それは人それぞれかも知れない 僕が坊主のように法を説く訳では無いしその境地には至っていない ただ願いとして 少しでもこの場所に来られる人の心に光が射せばいいなと思っている ぼくのような診療の在り方に違和感を抱く医師もいるだろう でもこの時代の価値観の中でその医師が育ってきた以上時代を越えて人を見ることは難しいのかも知れない
僕という人間に対する反発もあるかも知れない 僕には激しい性格もあるから その人をどこかで傷つけてきたのかも知れない 何と思おうともその人の自由である この場所が本当に大切な何かにつながる場所に成長していけばいいなと思う
教会や寺の伽藍は無くてもこの場所が少しでも来られる人々の魂の発見に結びつき 彼の人生が本来の意味と目的を取り戻すことができれば こんなに嬉しいことはない この場所に毎日座って来られる一人ひとりの人生に出会いを頂く僕は精神科医というよりも 街角の相談相手のような存在なのかもしれない 自らが苦しみながら共に歩む人々の苦しみに同伴する日々・・・いつか終わるこの一日一日の連なりがどうか 苦しむ人々にとって少しでも心の安らぎの一助になれますように