
パラダイムシフト
嘗て 私は自分の体の異常について 非常に敏感で恐がりだった だから 少しでも身体のどこかに いつもと違うサインを見つけると 最悪の病気ではないかと 怯えて神経性の熱が37度台出ることも珍しくはなかった 死ぬんではないかと不安で不安で仕方なかった
或る出会いを機に私の世界観 人生観 人間観が全く変わってしまった 自分の不思議な体験から これまで肉体が自分だとばかり思ってきたが 肉体は本当の自分のただの乗り船でしかないことを確信してしまった それまであんなにも恐れていた死が全く恐くなくなってしまった 本当の自分である永遠なる魂の 単なる乗り船である肉体に対する執着が消えてしまった あれほど神経質に自分の肉体の異常を探していた自分が 全く変わってしまった この人生を生きている間 魂の乗り船としての肉体は大切なものだけど 自分の本質ではない
それが分かった時 肉体に関する不安は 等身大の不安を除いて消えてしまった あれほど神経質だった私が 肉体に対して執着を捨ててしまい 肉体を生かしている大きな精緻なエネルギー、システムに任せてしまった これは非常に気楽だった だってなるようになっていく訳だしどんなに心配しても全体としてなるようにしかならないのだから 心配するだけ無駄なエネルギーを使うに過ぎない
この時から 自我意識で無駄な心配をすることは止めてしまった なるようにしかならないし 必ずなるようになっていくのだから 小さな自我意識で大きな存在を推し量るのは無駄である 幾ら騒いだところで何も良くはならない 川の流れに身を任せるように この世界に流れている指導原理に小さな自分の全てを任せてしまえばいいのだ
勿論 それは努力を否定しているのではない 大宇宙を貫いて流れている理である指導原理が世界の全てを動かしていることが分かってくると 小さな自我意識で壮大な全体を動かそうとする試みの無意味さを感じるようになる 自分が消える訳ではない 自分が遥かに壮大で深遠な意識の一部であることに気づくだけのこと 唯物論が真理だと勘違いされて生きてきた時代であるが故に 唯物論というパラダイムに邪魔されて 世界のもっと深い真実の姿を見ることを忘れてしまった人が多い
例えば 嘗ては「地球の周りを宇宙が回っている」と殆どの人が固く信じていた時代があった そんな時代に「地球が太陽の周りを回っているのだ」などと言う科学者は気違い扱いされて命を失うことすらあった その信念がその時代を支配している故に その信念がたとえ間違っていてもその間違いに気づくことは極めて困難である
でも新しい信念が一旦人々に受け入れられてしまうと その新しい信念は 何の違和感もなく全ての人の常識になってしまう この「唯物論 死んだら終わり 肉体こそが人間・・・」などの信念が支配するこの時代にあって 「魂こそが人間の本性である」と宣言することは 火刑に処せられても不思議はないかもしれない
でも誰がなんと言おうと真実はひとつしかない 人々がその古くて新しい真実にどんなに嫌悪感や拒絶を示そうとも真実はやがて明らかになる 妄信ではなくそのような体験をした者にとっては 例えば宇宙飛行士が 宇宙空間で体験したことによって地上に帰還した後の彼の人生観が全く変わるように ごく自然な体験であり気がついてみれば当然の理でしかない
「智慧抱く意思のエネルギー」 としての魂を原点として人間を見るようになると世界の見え方が全く新しいものになってゆく この確信に多くの異論があるでしょうが 真実は否定してもやがて自ずから明らかになる 偽りの思想は同様にやがて時の流れの中でその薄っぺらな正体を現すだろう
或る出会いを機に私の世界観 人生観 人間観が全く変わってしまった 自分の不思議な体験から これまで肉体が自分だとばかり思ってきたが 肉体は本当の自分のただの乗り船でしかないことを確信してしまった それまであんなにも恐れていた死が全く恐くなくなってしまった 本当の自分である永遠なる魂の 単なる乗り船である肉体に対する執着が消えてしまった あれほど神経質に自分の肉体の異常を探していた自分が 全く変わってしまった この人生を生きている間 魂の乗り船としての肉体は大切なものだけど 自分の本質ではない
それが分かった時 肉体に関する不安は 等身大の不安を除いて消えてしまった あれほど神経質だった私が 肉体に対して執着を捨ててしまい 肉体を生かしている大きな精緻なエネルギー、システムに任せてしまった これは非常に気楽だった だってなるようになっていく訳だしどんなに心配しても全体としてなるようにしかならないのだから 心配するだけ無駄なエネルギーを使うに過ぎない
この時から 自我意識で無駄な心配をすることは止めてしまった なるようにしかならないし 必ずなるようになっていくのだから 小さな自我意識で大きな存在を推し量るのは無駄である 幾ら騒いだところで何も良くはならない 川の流れに身を任せるように この世界に流れている指導原理に小さな自分の全てを任せてしまえばいいのだ
勿論 それは努力を否定しているのではない 大宇宙を貫いて流れている理である指導原理が世界の全てを動かしていることが分かってくると 小さな自我意識で壮大な全体を動かそうとする試みの無意味さを感じるようになる 自分が消える訳ではない 自分が遥かに壮大で深遠な意識の一部であることに気づくだけのこと 唯物論が真理だと勘違いされて生きてきた時代であるが故に 唯物論というパラダイムに邪魔されて 世界のもっと深い真実の姿を見ることを忘れてしまった人が多い
例えば 嘗ては「地球の周りを宇宙が回っている」と殆どの人が固く信じていた時代があった そんな時代に「地球が太陽の周りを回っているのだ」などと言う科学者は気違い扱いされて命を失うことすらあった その信念がその時代を支配している故に その信念がたとえ間違っていてもその間違いに気づくことは極めて困難である
でも新しい信念が一旦人々に受け入れられてしまうと その新しい信念は 何の違和感もなく全ての人の常識になってしまう この「唯物論 死んだら終わり 肉体こそが人間・・・」などの信念が支配するこの時代にあって 「魂こそが人間の本性である」と宣言することは 火刑に処せられても不思議はないかもしれない
でも誰がなんと言おうと真実はひとつしかない 人々がその古くて新しい真実にどんなに嫌悪感や拒絶を示そうとも真実はやがて明らかになる 妄信ではなくそのような体験をした者にとっては 例えば宇宙飛行士が 宇宙空間で体験したことによって地上に帰還した後の彼の人生観が全く変わるように ごく自然な体験であり気がついてみれば当然の理でしかない
「智慧抱く意思のエネルギー」 としての魂を原点として人間を見るようになると世界の見え方が全く新しいものになってゆく この確信に多くの異論があるでしょうが 真実は否定してもやがて自ずから明らかになる 偽りの思想は同様にやがて時の流れの中でその薄っぺらな正体を現すだろう