
安部一成先生のこと
経済学部に在学中に、私は、安部一成先生の主催するゼミナールに所属していた。プロフィールにも書いたが、その当時私は、口腔内の癌に怯え 抑うつ状態にあった。心療内科に入院して、精神科医になろうと決心した
そのことを、先生に御伝えした。先生は「経済の勉強はいいから、お前は医学部に入学する為の勉強をせい」と言って下さった。先生は経済学者としても、当時超一流の学者だったが、先生の魅力は、一人の人間としての根本的な優しさと、原水爆禁止運動に積極的に関わっていくような 次の世界を常に見据えて行動するような所にあったと思う。学生に対しても 御自分の研究で御多忙であったであろうに、私たち学生の飲み会に徹定的に付き合って下さり、これからの世界について意見を交換して下さった。先生は私たち学生との飲み会を終えて御自宅に帰ると お茶をヤカン一杯飲まれて、酔いを冷まし、それから経済の勉強をされた。
先生の同級生に橋川先輩という方がいたが、先輩は戦争中に亡くなられた。その橋川先輩が生前残された「山都逍遥歌」を先生はこよなく愛されて 飲み会の最期は、いつもこの橋川先輩の残されたこの歌の合唱で締めくくられた
今も安部ゼミの全国的な会の最期はこの歌で閉められることが多い。
ただ、私たちの学年では 橋川先輩の歌に交じって時に幹事長の上野が前に立ち 指揮棒を振り、みんなでベートーベンの「第9」の合唱を ある部分だけ歌詞を安部ゼミに入れ替えて歌っていた。安部ゼミは経済のゼミなんですが、先生の何事にも拘らないおおらかな性格のためなのか、理学部の学生まで一緒に勉強したり酒をのんだりして、結局その学生は(S君というが・・)安部ゼミの卒業生名簿にその名が載っている。
ブラジルからの留学生(ブラジルさんと呼んでいたが・・)もいて騒がしいがとても楽しかった。ブラジルさんはとても優しくて 酔うとおもしろかった。リオの出身で弁護士であったが、今頃どうしているんだろう。