
真実を求めて
もう35年程も昔のことになる 当時20歳だった私の口腔に 腫瘍ができた その塊に触れた時 背筋が一瞬凍りついた
それまで 人生の意味や目的について何も考えたことが無かった しかしその瞬間に それまで私を支えていた地面や床が消えて 底の無い暗黒の虚無が 私の下に現れた あれほど確かだと思っていた日常が 跡形も無く消え去ってしまった そこにあるのは 何の意味も持たない虚無の淵だった
そんな虚無や絶望の上に生きていながら その事実に全く気がつかなかった 私の足元にある床が私をしっかりと支えていると思っていた いやその意識さえ無かった 死を前にして初めて 自分の生きる世界が 無意味の偶然の上に成り立っていると感じられた
人生が偶然にこの世界に現れたのなら 人間が偶然にこの宇宙に生きているのなら この虚無を支えるものは 何もない 周りで無邪気に笑っている人たちが信じられなかった 彼らは知らないんだ 彼らがどんなに深い虚無の淵の上に生きているかを そして時が来れば彼らは全て底の無い暗黒の虚無の中に どこまでも落ちていくということを・・
完全に一人だった 誰が傍に居ようと その人もこの虚無の淵を超えることができない以上 私を救う力を持たない これまで私を支えてきた両親も 私を支えることはできなかった 彼らもやがては虚無の淵に呑み込まれていく存在だったから・・・夜 寝付いても夜中になると激しい冷や汗と 不安感 それから激しい動悸ですぐ目が覚めた 何処に行こうと僕の不安を消し去ってくれる場所も人もいなかった
自分を救うためにそれからの私は 必死になってこの人生の意味を教えてくれる人や書物を求め むさぼるように読んだ 哲学や聖書 仏典 ・・・必死に求めてさまよった 禅宗の教え 特に道元の教えの中には 不安発作を緩和する深みを持ったものもあった その言葉 境地にどれだけ当時の私は救われたことか
また新約聖書のイエスの言葉もとても深かった 知識でのみ書いている本には その虚無を超えるだけの深みは無かった 深みに根ざした言霊 その境地から発される深みに根ざした存在の言霊のみが 虚無の淵で震えていた私を辛うじて支えてくれた でも何の為に人がこの世界に生まれ何の為に生きるのか 死んだら全ては終わりなのか その答えを与えてくれることはなかった
その虚無の底なしの淵を越えるためには 虚無の向こうを知っている存在でなければ不可能であった この世の無意味さに絶望した人にとっては その無意味さを超える 智慧を持つ存在でなければダメだった 人生の有限さ 無意味さに絶望し震えている人を救えるのは この目に見える世界を超えたもっと高次の世界とアルカナを体得した存在でなければならなかった
3年求めて行き着いたのは 「この眼が見ている世界は 世界の一部でしかないということ この耳が聞いている音はこの世界に響く音の極く一部でしかない」という事実だった 不安に襲われれば 座禅や瞑想で心を整え イエスや道元が語った言葉を しがみつくように何回も唱えた そのやりかたで とりあえず不安発作からかなり自由になれた
あとは 「人間とは何か?」「人は何の為にこの世界に生まれてくるのか?」「人生の目的と使命とは何なのか?」「人は肉体が死してそれで終わりの存在なのか?」「世界と人間の関係とは?」次々に 知りたかったことが奔流のように心を満たした その回答を求めて新しい旅が始まった
それまで 人生の意味や目的について何も考えたことが無かった しかしその瞬間に それまで私を支えていた地面や床が消えて 底の無い暗黒の虚無が 私の下に現れた あれほど確かだと思っていた日常が 跡形も無く消え去ってしまった そこにあるのは 何の意味も持たない虚無の淵だった
そんな虚無や絶望の上に生きていながら その事実に全く気がつかなかった 私の足元にある床が私をしっかりと支えていると思っていた いやその意識さえ無かった 死を前にして初めて 自分の生きる世界が 無意味の偶然の上に成り立っていると感じられた
人生が偶然にこの世界に現れたのなら 人間が偶然にこの宇宙に生きているのなら この虚無を支えるものは 何もない 周りで無邪気に笑っている人たちが信じられなかった 彼らは知らないんだ 彼らがどんなに深い虚無の淵の上に生きているかを そして時が来れば彼らは全て底の無い暗黒の虚無の中に どこまでも落ちていくということを・・
完全に一人だった 誰が傍に居ようと その人もこの虚無の淵を超えることができない以上 私を救う力を持たない これまで私を支えてきた両親も 私を支えることはできなかった 彼らもやがては虚無の淵に呑み込まれていく存在だったから・・・夜 寝付いても夜中になると激しい冷や汗と 不安感 それから激しい動悸ですぐ目が覚めた 何処に行こうと僕の不安を消し去ってくれる場所も人もいなかった
自分を救うためにそれからの私は 必死になってこの人生の意味を教えてくれる人や書物を求め むさぼるように読んだ 哲学や聖書 仏典 ・・・必死に求めてさまよった 禅宗の教え 特に道元の教えの中には 不安発作を緩和する深みを持ったものもあった その言葉 境地にどれだけ当時の私は救われたことか
また新約聖書のイエスの言葉もとても深かった 知識でのみ書いている本には その虚無を超えるだけの深みは無かった 深みに根ざした言霊 その境地から発される深みに根ざした存在の言霊のみが 虚無の淵で震えていた私を辛うじて支えてくれた でも何の為に人がこの世界に生まれ何の為に生きるのか 死んだら全ては終わりなのか その答えを与えてくれることはなかった
その虚無の底なしの淵を越えるためには 虚無の向こうを知っている存在でなければ不可能であった この世の無意味さに絶望した人にとっては その無意味さを超える 智慧を持つ存在でなければダメだった 人生の有限さ 無意味さに絶望し震えている人を救えるのは この目に見える世界を超えたもっと高次の世界とアルカナを体得した存在でなければならなかった
3年求めて行き着いたのは 「この眼が見ている世界は 世界の一部でしかないということ この耳が聞いている音はこの世界に響く音の極く一部でしかない」という事実だった 不安に襲われれば 座禅や瞑想で心を整え イエスや道元が語った言葉を しがみつくように何回も唱えた そのやりかたで とりあえず不安発作からかなり自由になれた
あとは 「人間とは何か?」「人は何の為にこの世界に生まれてくるのか?」「人生の目的と使命とは何なのか?」「人は肉体が死してそれで終わりの存在なのか?」「世界と人間の関係とは?」次々に 知りたかったことが奔流のように心を満たした その回答を求めて新しい旅が始まった