
治療者の心
いろんな人がいるように、いろんな患者さんが来る。感じの良い人もいれば「早く帰って二度と来ないで欲しい。」と思うような人もいる。これまで精神科医としてやってきて、教えられた大きなことの一つは、自分の情動に翻弄されず 自分の情動を患者さんの理解の道具として使いこなすということである。
例えば、或る病棟にクレームの多い、要求の多い患者が入院してきたとする。精神科に慣れていない看護師は「こんな患者すぐにも退院させて下さい。」と医師に迫るかも知れない。気持ちは分かるけど、これでは、普通のおばちゃんと何の違いもない。この患者が看護師の心に或る情動を引き起こしているのだが、もしかしたら、この看護師がいま感じている怒りや拒絶の情動は この患者がその生育歴の中で家族またはそれに類する人から 常に感じさせられてきた情動なのかも知れない。つまり立場の逆転が起こっているのだ。
今、看護師を怒らせている患者は 嘗て今の看護師のような立場にあった可能性が高いということである。嘗ての被害者が加害者になって、看護師に拒絶や怒りの感情を 引き起こさせているということである。だから精神科の看護師としては、患者の言葉や態度に怒ってもいいけど、そこで患者の情念に巻き込まれて 拒絶や嫌悪感を現すのではなく 自分の情念を見ているもう一人の治療者、看護者としての自分を持っていなければいけない。つまり自分の心に患者によって引き起こされる感情を 患者の心を理解するための道具として 使いこなすということである。素人と精神科治療者との違いの一つはここにあると思う。