
忍土
昨日の大地震の惨状をテレビで見ながら いろいろな想いが心の中を去来した 津波が呑みこんでゆく映像では 失礼な言い方かも知れないけど 映画を見ているようで現実感が持てなかった 九州にいて比較的軽微なダメージしか受けていないこともあり どこか他人ごとのような自分の感じ方があった
これまでも海外で大きな地震や津波 戦争で多くの人が傷ついていても どこかで「自分には直接関係ない 遠い世界の出来事・・・」と受け止めていた自分がいた でも今回の災害は他人ごとではすませられない切実さをもって迫ってきた
被災地の人達の状況や気持ちに想いを馳せる時 「これでいいのだろうか?こんなぬるま湯につかった毎日を過ごしていていいのだろうか?」という問いかけを運んでくる これまでの自分だけの 閉じられた関心ではいけないと思った これだけの災害と人々の悲しみ 苦しみを思う時 新しい連帯が呼びかけられているように感じる
政治家も目が覚めたのではないか たかだか20万円の献金で 大切な外務大臣を辞めさせる人の心に 人類の未来に対する責任感が本当にあったのだろうか 夕べテレビに出る政治家の顔は いつになく真剣で引き締まっているように感じた 真剣さが足りなかったし 重箱の隅をつつくようなつまらないビジョンも願いもない政治姿勢であったように思う
この国難にあって いや人類全体がこれから大変な時期を迎えようとしているこの時にあって 小さなことに意識を向けている場合じゃない 人類の将来がかかっている程大切な時期を迎えるにあたって 一人ひとりが本当に何をやるべきなのかを真剣に考えないといけない 日常の何気ない生活ができていることの幸せと しかしいつ何時何が起こっても不思議ではないこの世界に生きている私たちの はかなさをも感じる この世は忍土であり何が起こってもおかしくはない世界・・そのような世界 時代に生きる私たちは 何をしなければならないのか