
見えない支え
毎日生きていると、これ以上は無理かな と感じる状況に陥ることもある。絶対絶命の「この先どうなっていくんだろう?」という強烈な不安に 心が凍りそうになることがある。そんな時、「どうせ一人で生まれてきたんだし、どうせ一人で死んでゆくんだから・・・ジタバタしても仕方ない。なるようにしかならない。覚悟を決めよう。」とか思う。
そう心が定まると きついのは変わらないけど、開き直っている分だけ揺れ動かない。表面の問題に一喜一憂しても こんな場合はダメなので、問題の本質が何であるのか、何を私は呼びかけられているんだろう?と自分の内側に潜入してゆく。外界が如何に騒がしくても、内界には静かに時の流れる場所がある。その静かな場所に還るようにしている。
すると不思議なことだが、外界の嵐がいつの間にか収まっている。小さな私の意識を包容しているマクロコスモスの光や叡智が 僕を包んで導いてゆくような感じを受ける。先ず、問題を等身大にとらえること、心に中心軸を立てること、源なる内界に還り、そこで自分が元々何者であり、何処から来て何処へ行く存在であるのかを 再認識する時を持つ。マクロコスモスの光に包まれていると、絶対の安心と安らぎが心を満たしていく。必ず道は用意されているし、越えられないハードルは来ない。自分にとって必要な試練しか世界は与えない。
「この世は忍土だ」と思ってはいても「どうしてこんなことばかり起こるんだろう?」と厭になることもある。でもこの人生は僕が自分で望んだ時と場であるし、いろいろな人に出会いたくて 生まれてきたのだから・・・確かにレイテの泉の水を飲み、これまでの転生の記憶を 一旦全て消してこの世界に赤ん坊として生まれてきたから、迷うのも当然と言えば当然なんだけど・・いつも見えないけど 僕がこの地上に生れてからずっと見守っていてくれる優しい光の存在を感じる。
その光の存在は、一度だけ僕に語りかけてくれた。僕の誤りを指摘し、本来あるべき姿を教えてくれた。しかしいつも表に出ず、心の中にいて、人知れず、ぼくを護り導いてくれている。
そう心が定まると きついのは変わらないけど、開き直っている分だけ揺れ動かない。表面の問題に一喜一憂しても こんな場合はダメなので、問題の本質が何であるのか、何を私は呼びかけられているんだろう?と自分の内側に潜入してゆく。外界が如何に騒がしくても、内界には静かに時の流れる場所がある。その静かな場所に還るようにしている。
すると不思議なことだが、外界の嵐がいつの間にか収まっている。小さな私の意識を包容しているマクロコスモスの光や叡智が 僕を包んで導いてゆくような感じを受ける。先ず、問題を等身大にとらえること、心に中心軸を立てること、源なる内界に還り、そこで自分が元々何者であり、何処から来て何処へ行く存在であるのかを 再認識する時を持つ。マクロコスモスの光に包まれていると、絶対の安心と安らぎが心を満たしていく。必ず道は用意されているし、越えられないハードルは来ない。自分にとって必要な試練しか世界は与えない。
「この世は忍土だ」と思ってはいても「どうしてこんなことばかり起こるんだろう?」と厭になることもある。でもこの人生は僕が自分で望んだ時と場であるし、いろいろな人に出会いたくて 生まれてきたのだから・・・確かにレイテの泉の水を飲み、これまでの転生の記憶を 一旦全て消してこの世界に赤ん坊として生まれてきたから、迷うのも当然と言えば当然なんだけど・・いつも見えないけど 僕がこの地上に生れてからずっと見守っていてくれる優しい光の存在を感じる。
その光の存在は、一度だけ僕に語りかけてくれた。僕の誤りを指摘し、本来あるべき姿を教えてくれた。しかしいつも表に出ず、心の中にいて、人知れず、ぼくを護り導いてくれている。