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    歴史

     お寺に、父の供養の布施を持っていった。丁重に出迎えて下さった。この段階で、僕の気持ちに少し変化が起きている。「こんなに丁重に迎えてくれるのか・・・」居間に通して頂き、お茶を奥様が運んで下さる。

     いろいろな話になる。このお寺の所以(ゆえん)や 僕が生まれた村の歴史にも話題は広がっていく。このお寺の初代は、山の向こうにある地域の豪族であったようで、関東から派遣された地頭である宇都宮氏に滅ぼされたという。その地域には、嘗て城があり、文化が栄えていたらしい。宇都宮氏に戦いで敗れた時、当時は討ち首になるか、仏門に入るかしかなく、この寺の初代は仏門に入ったという。そして山を越えて僕が生まれた村に 小さな寺を建立した。そこからこの寺の歴史は始まっている。

     宇都宮氏は、その時代は、力の強い豪族であり、中津に入った黒田氏と激しく争った。勝敗が つかず、秀吉から、強く催促されて、焦ったからか、黒田氏は宇都宮の姫を 長政の奥方に迎えるという約束をした。宇都宮の重臣たちは、その和解案に乗り、中津城へと向かった。しかしそこで吊り天上を仕掛けられ、残った重臣も城外で切り殺されてしまった。

     その後宇都宮の残党は抵抗したが、黒田氏に滅ぼされてしまう。姫は崖から身を投げたと聞いている。宇都宮氏に縁が深こともあって、黒田氏の侍らしからぬ卑怯なやり方に 憤慨していた時もあった。でもその宇都宮氏も、同じように平和に暮らしていた豪族を 無慈悲に滅ぼしていた。その滅ぼされた豪族の末裔(まつえい)が、僕の家のお寺となるなんて 不思議な縁を感じる。誰も責められないんだなと思った。

     この後、母の実家は黒田氏と深い縁を持つことになる。その家には茶室と庭園があったのだが、黒田如水が 母の実家に来訪された時に、その庭園に名前を付けてくれたそうで、「う園」と名づけられた。「う」がどんな漢字なのかよく覚えていない。幼い頃母に手を引かれて、母の実家に遊びに行った時、祖父や伯父と茶室に座って その庭と池の鯉を見ていた。嘗て(かつて)敵同士で憎しみあった筈なのに、その後の歴史を見ていると、黒田氏とも深い交流があっている。人間って不思議だなと思う。
    プロフィール
    福岡市中央区天神 心療内科 精神科
    心のクリニック新しい風
    http://atarashiikaze.com

    精神科医ギル

    Author:精神科医ギル
    こんにちわ 私は 一人の精神科医です 同時に一人の患者です
    心に浮かぶままに ブログを書いていきます よろしくお願いします

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