
久しぶりの勉強会
久し振りに勉強会に出た。友人のH先生と、恩師の松木先生がいらした。H先生が座長で、W先生が初めに双極性障害について講演し、それから京都大学に行かれた松木先生の御講演だった。「うつの精神療法」という演題だったように記憶している。何年間も週に何日も 先生のオフィスや自宅にまで通って教育分析をやって頂いた。今でも僕のクリニックの診察室の壁には、誰も気づかないみたいだけど、松木先生の終了証書が 小さな額に入れて掛けてある。僕にとってはとても重みのある終了証書なんだけど・・・製薬会社のI社が後援して下さって 実現した勉強会だったので、新しく双極性障害に使えるようになったI社の薬の宣伝も含めて W先生が講演した。松木先生は、純粋に精神療法について 深い話をされた。
先生のお話は、実践や思索に基づいているので、空虚ではなく、単に外国の新しい文献を寄せ集めてきたものではない。それだけに 毎日クリニックで患者さんと格闘している私たちにとっては、何よりの励ましであり、教えられることが多い。本当は、もっともっと精神療法のみではなく、薬の勉強会にも出たい。でも僕のクリニックは 早くても7時過ぎにしか終わらない。だから出たくても出れない。今日はたまたま土曜日で 6時までの診察だったので、7時からの勉強会に間に合った。もっと勉強したい。
さて、松木先生の講義の中で 心に残ったことを述べてみる。素人の方には少し分り辛いかもしれない。私たちはどうしても会社で働いて疲れてクリニックに来る人に接すると、会社が悪い、その人は犠牲者だ と考えてしまう。抑うつに耐えきれずに、つまり自分の心にその抑うつ感情を置いておくことができずに、外に排出する。でも自分の心の中のことだから、その抑うつは迫害感を伴って 自分の心に還ってくる。自分の心の中に置いておけない抑うつ感情は 外側に投影される。つまり自分の外にある自分以外の存在を責めることで 自分の心の平衡を保とうとする。他罰的である限り、自分が非を背負う必要はない。しかし、他に責を転嫁している限りは、本当の意味で「問題を抱えそれに対処する力」は育たない。精神療法は患者の弱さを肯定し 外の悪?から守るものではない。どのような問題も心に抱えて持ちこたえる力を 育てていくことを目指している。勿論ひどい環境や 耐えきれない過重労働を肯定している訳ではない。
また「ストレス」という言葉を多用することで、患者に他罰的な傾向を助長しているところがある。何でもかんでも「ストレス」のせいにすれば 自分の責任は何処にもなくなってしまう。それと先生が仰った言葉の中に「抑うつが簡単に治ると安易に伝えるべきではない」というものがあった。誤解を受けるかもしれないが、薬を処方してそれで抑うつの症状が軽くなることはあるが、その症状を起こしているその人のパーソナリティを扱わなければ 本当の治癒や人格的な成長というものはありえない と仰りたかったんだろう。
またネットの情報の功罪もある。ネットの情報は便利だけど、一瞬にしてネガティブな情報を 信じ込ませてしまう。だから、希望はしっかり伝えながらも この病を克服してゆくことは簡単ではないことを しっかり伝えるべきだ。ネットで数週間で抑うつが完治するようなことを書いている。希望を持つことは決定的に重要だけど、しっかりと取り組まなければいけない問題を軽く扱うのは、大きな間違いである。表面だけをなでるのと、問題の本質的な解答を苦しみながら共に勝ち取ってゆくのとは 雲泥の差が存在する.
最後に、クリニックのスタッフの一人であるNさんと 一緒に参加できたこと、H先生や松木先生に彼女を紹介できたことは とても嬉しかった。
先生のお話は、実践や思索に基づいているので、空虚ではなく、単に外国の新しい文献を寄せ集めてきたものではない。それだけに 毎日クリニックで患者さんと格闘している私たちにとっては、何よりの励ましであり、教えられることが多い。本当は、もっともっと精神療法のみではなく、薬の勉強会にも出たい。でも僕のクリニックは 早くても7時過ぎにしか終わらない。だから出たくても出れない。今日はたまたま土曜日で 6時までの診察だったので、7時からの勉強会に間に合った。もっと勉強したい。
さて、松木先生の講義の中で 心に残ったことを述べてみる。素人の方には少し分り辛いかもしれない。私たちはどうしても会社で働いて疲れてクリニックに来る人に接すると、会社が悪い、その人は犠牲者だ と考えてしまう。抑うつに耐えきれずに、つまり自分の心にその抑うつ感情を置いておくことができずに、外に排出する。でも自分の心の中のことだから、その抑うつは迫害感を伴って 自分の心に還ってくる。自分の心の中に置いておけない抑うつ感情は 外側に投影される。つまり自分の外にある自分以外の存在を責めることで 自分の心の平衡を保とうとする。他罰的である限り、自分が非を背負う必要はない。しかし、他に責を転嫁している限りは、本当の意味で「問題を抱えそれに対処する力」は育たない。精神療法は患者の弱さを肯定し 外の悪?から守るものではない。どのような問題も心に抱えて持ちこたえる力を 育てていくことを目指している。勿論ひどい環境や 耐えきれない過重労働を肯定している訳ではない。
また「ストレス」という言葉を多用することで、患者に他罰的な傾向を助長しているところがある。何でもかんでも「ストレス」のせいにすれば 自分の責任は何処にもなくなってしまう。それと先生が仰った言葉の中に「抑うつが簡単に治ると安易に伝えるべきではない」というものがあった。誤解を受けるかもしれないが、薬を処方してそれで抑うつの症状が軽くなることはあるが、その症状を起こしているその人のパーソナリティを扱わなければ 本当の治癒や人格的な成長というものはありえない と仰りたかったんだろう。
またネットの情報の功罪もある。ネットの情報は便利だけど、一瞬にしてネガティブな情報を 信じ込ませてしまう。だから、希望はしっかり伝えながらも この病を克服してゆくことは簡単ではないことを しっかり伝えるべきだ。ネットで数週間で抑うつが完治するようなことを書いている。希望を持つことは決定的に重要だけど、しっかりと取り組まなければいけない問題を軽く扱うのは、大きな間違いである。表面だけをなでるのと、問題の本質的な解答を苦しみながら共に勝ち取ってゆくのとは 雲泥の差が存在する.
最後に、クリニックのスタッフの一人であるNさんと 一緒に参加できたこと、H先生や松木先生に彼女を紹介できたことは とても嬉しかった。