先日 父の3回忌の法要を、故郷で行った 数日前から 腰を痛めて
いたので、痛くて動くのもままならない状態だった そんな状況の中
で何とか法要を終えたが、次の日曜日、月曜日が地方の病院の仕事が
入っていた 「こんな酷い状態で仕事になるんだろうか?」と不安に
なった 余りにひどいので、知りあいに鍼灸師を探してもらい 午前
中 病院を休ませてもらってその鍼灸師の許へ行った 出て来られた
のは 80歳を過ぎた鍼灸師さんだった この道60余年になるとの
ことで 彼女に全て任せてしまうことにした 彼女が鍼灸の道に入っ
た頃の話や弟子入りした師匠の話を聞かせてくれた さすがに無駄な
力は一向に入っていないのに 彼女の手が自然に僕の体の悪い部分を
癒していく 鍼も余りにも手慣れていて 安心感があった 彼女に何
の力みも感じられなかった ただ長い修練を経て習得した自然な動き
があるだけだ 「僕にはまだ力みがあるなあ」と彼女の施術に接しな
がら感じた 病院に行っても歩くのがきつかった 顔なじみの看護師
さんが 僕の痛々しい姿を見て 「先生 歩行器を使ったら・・」
と歩行器を持ってきてくれた 随分歩行が楽になった 患者さんから
みたら歩行器で歩いている医者は見栄えはあまり良くないのだろうけ
ど 僕はとても楽になった 次の日は外来の担当だった 外来が終わ
ってすぐに先日の鍼灸師さんの家に飛んでいった 僕はそのときまで
彼女の存在を知らなかった でも故郷ということもあり、彼女は僕の
父も母も知っていた 両親とも彼女のお世話になったことが何回かあ
ったらしい 彼女の施術の御蔭で次の日には 坐骨神経痛がかなり改
善していた 痛みはまだ少し残ってはいたけど こうして歩けること
のありがたさを 痛感した 出来て当たり前 ではなかったのだ 痛
みなく歩けることがどんなに素晴らしいことか初めて感じた 80歳
を超えて看板も上げず 人知れず鍼灸で人々の痛みを癒しているその
老人に 何か不思議な縁を感じ、彼女を僕に引き合わせてくれた力に
感謝の気持ちが湧いた 当たり前のように淡々と鍼灸の業を行う人、
何のてらいも何の驕りもない 自然体の彼女 当たり前のようにそこ
に現れて、僕を激しい痛みと苦しみから救ってくれた人
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