
良き縁になれれば
いろんな人がクリニックに来られる。本当に個性も容貌も、年齢も様々である。キラキラするような可能性を感じる人がいる。この人が今のデッドロックをもし乗り越えられたら、素敵な人になり、いろんな人達に 感動を与えるようになるだろうなとか思う。僕にも夢があるし、そんな人に出会うと、こちらの方がアクチベイトされてしまう。じっとしていられなくなる。「この若者に負けたくない」と思ってしまう。
競争を良い意味で楽しんでいる感じかなあ。燃えている人に出会うと たとえその人が道に迷って苦しんでいても こちらが刺激される。「こんなことしてる場合じゃない」とか感じてしまう。一度やり始めると精神科医は辞められない。病みつきになりそうだ。たしかにきついし、疲れるし、時間もあまりない。それでもこのドキドキするような出会いの喜びを 体験したら止められない。かなりのプレッシャーがかかる「なんとかしなければ・・・」と思うと責任だけが重く心にのしかかる。
でも自分がなんとかするのではなく、この出会いの中で 自然に降りてくるものを待つことを思い出すと 楽になり、その場にエネルギーが流れるようになる。精神療法といっても双方向の出会いであり、変化であることがおもしろい。一方だけが、変わっていくことは、あり得ない。変わるとしたら この場を満たしているエネルギーそのものが 全体として変化してゆく。出会いの中で、自分の未熟さを イヤと言う程感じさせられることがある。この人の前に治療者、助言者 として立っていることが 恥ずかしくなることがある。
競争を良い意味で楽しんでいる感じかなあ。燃えている人に出会うと たとえその人が道に迷って苦しんでいても こちらが刺激される。「こんなことしてる場合じゃない」とか感じてしまう。一度やり始めると精神科医は辞められない。病みつきになりそうだ。たしかにきついし、疲れるし、時間もあまりない。それでもこのドキドキするような出会いの喜びを 体験したら止められない。かなりのプレッシャーがかかる「なんとかしなければ・・・」と思うと責任だけが重く心にのしかかる。
でも自分がなんとかするのではなく、この出会いの中で 自然に降りてくるものを待つことを思い出すと 楽になり、その場にエネルギーが流れるようになる。精神療法といっても双方向の出会いであり、変化であることがおもしろい。一方だけが、変わっていくことは、あり得ない。変わるとしたら この場を満たしているエネルギーそのものが 全体として変化してゆく。出会いの中で、自分の未熟さを イヤと言う程感じさせられることがある。この人の前に治療者、助言者 として立っていることが 恥ずかしくなることがある。