
故郷の人々
僕が生まれたのは、山間の小さな村でした。30軒ほどの家があるだけの、小さな村でした。山や川であそびました。幼稚園も保育園もなく、バスは通っておらず、店が一軒もありませんでした。豆腐屋さんが一軒だけありました。それで、子供の頃は、幼稚園にも行かず、川や山でみんなと思いきり遊びました。その頃の、遊び仲間はもう殆どが遠くの街に出ており、村には、高齢の年よりが日向ぼっこをしており、猫や犬がその傍で寝そべっています。
自然が豊なので、四季の季節感は十分に感じられます。僕を育んでくれた村の人々は、みんな家族のように毎日会う度に 優しい声をかけてくれました。血はつながっていないのに、昔からの親しい家族のように 子供達を見守ってくれました。「この村に生れてよかった。」今振り返ってつくづく思います。やさしいおじさんや おばさんの笑顔、優しい親しみに満ちた言葉。勿論時々いたずらをして怒られましたが、今では、遠いけど涙が出るほど、優しい思いでです。山に杉やヒノキを母と植林し、その後何年もの間、その小さな苗の世話をしました。ま夏で汗ビッショリになりながらも働いている自分に 或る種の誇りを感じていました。夕方になると木漏れ日が杉林の中に射してきて、神秘的な敬虔な気持ちになりました。
僕はあまり喧嘩が強くなかったので、いつも2歳年上のガキ大将に泣かされていました。その頃近くに歳の近い男の子が10人程いて、夜になるまでメンコやビー玉で遊びました。近くの川に魚を釣りにもよく出かけました。宮崎ハヤオさんのアニメに出てくる村のような場所でした。あの頃、僕らは小さな子供で、今のお年寄りが壮健のおじさん、おばさんでした。時が過ぎてゆくのを 胸が痛くなるような郷愁をともなって見つめています。多くの村の人たちがもうこの地上にはいません。
優しかったあのおじさんやおばさんは、何処に行ってしまったんだろう。今福岡市の天神という人であふれかえっている場所で 小さなクリニックの診察室にいます。長い間、ブログから遠ざかっていました。書きたいものがない時は書かないことにしています。自分の中に伝えたいもの表したいものがある時だけ、そのままの気持ちで書いていきます。僕は今生まれてきてよかったと感じています。勿論、強いニヒリズムを持っていますから、一転して虚無感の中で 全てが虚しいと感じる僕もいます。その何れもが僕です。いろんな人に出会っていろんな想いをして、でもこの世界に生れてくることができたから こんなに悲しいんだろうし、こんなに寂しいんだろうな。優しい光に包まれることもあれば、優しい人のやさしい想いやりに触れて 涙が出る程嬉しいこともある。自殺のことをずっと考えて 追い詰められている人がいる。
何とかその孤独な寂しいこころを 癒してあげることができれば・・・その人の中にあるまぶしい程の可能性と光が感じられるだけに、死ぬことしか考えられぬ程、追い詰めらているその人に 明るい世界をかいま見せてあげたい。この世界が厳しい現実を抱えた忍土であることは、よく分かっています。自分の思い通りになることなど 滅多にないこともよく分かっています。でもそれでも生きていて欲しい。この地上での生が終わるまで この世界の喜びも悲しみも 一切味わい尽して去っていって欲しい。